FC2ブログ

コミュニケーションを デザインする。

 

変わらなければ、おもしろいことに出合わない。 

変わらなければおもしろいことに出合わない。

2013年4月1日何故か気持ちのいい数字の並びです。特に何かアピールしているわけではないと思いますが、私には「CHANGE!」とアピールしているように思えてなりません。「CHANGE!」変わらなければ。自分ひとりが変わり続けることは自分自身の中では差程困難なことではないですが、同じプラットフォームにいるキャラクターに同じベクトルに向かわせるのはパワーのいることです。成功している人や経営者は「時間がない。時間がない」と愚痴っている人とあまりお会いしたことがありません。巷では「時間がない。時間がない」とワーワー騒ぐことが「忙しい。忙しい」とさらにネガティブにパワーアップしているような言葉が、そこかしこから聞こえてくる時期になりました。それでは変わることなど程遠い話です。時間は当事者が止めない限りそのままどんどん進んでいきます。いずれかのタイミングで変わらない限り、みんなの時間は決して今まで以上には増えないことは明らかです。

時計

最初の日、親方のところへ挨拶に向かうと、
親方は斧を一本手渡して森の一角を割り当てた.

男はやる気満々で森に向かい
その日一日で十八本の木を切り倒したのだった
「よくやったな」と親方は言った。「この調子で頼むぞ」
翌朝は誰よりも早く起きて森に向った。
ところがその日は努力も虚しく十五本が精一杯だった。
「疲れているに違いない」そう考えた木こりはその日、
日暮れとともに寝ることにした。

夜明けが来ると十八本の記録を超えてやるぞ、
と心に決めてと床を出た。
ところが十八本どころかその半分も切り倒せなかった。
次の日は七本、そのまた次の日は五本、
そして最後には夕方になっても二本目の木と格闘していた。

何と言われるだろうとびくびくしながらも、
木こりは親方に正直に報告して、
これでも力のかぎりやっているのです、と誓った。
親方は彼にこう尋ねた。
「最後に斧を研いだのはいつだ?」
「斧を研ぐ?研いでいる時間はありませんでした。木を切るのに精一杯です」


この寓話はいろいろなシーンで聞く話です。新年度を迎えるにあたって様々な戦略上の議論が日本どこへ行ってもワーワーやっているだろうとイメージできます。戦略や戦術そして企画を考えられない。という人は、決まって、「売上を上げるために、日々の営業でそんな時間がない」と言います。いつも思うのですが、何か?事の考え方というか進め方が違うような気がします。時間がないから企画を考えられないのではなくて、的確な戦略や戦術そして企画が構築できていないから時間がない(時間をつくることができない)のだと私は考えます。このようなことを詭弁だという前に、その時間がないという本質を理解できているかどうか考えてみてはいかがだろうか。2013年は事業戦略においても大きな転換期を迎えるだろう思います。業界においても大きなパラダイムシフトが確実に訪れます。また予測できないメディアの変容も考えなければなりません。ここでご紹介した寓話を「わかる。わかる」と受け止めるよりは「かわる。かわる」!と自分自身に言い聞かせてはと考えます。「変わらなければ」と。「変わる」ためにはこの寓話の本質を理解できるよう、まずは変わらなければ!と。

斧をしっかり研いでいますか?
進化

仕事は生き方そのもの。矜持やね。

もうひとつ寓話を思いついてしまいました。仕事への関わり方を今一度考えてみてもいいのではと思います。忙しさにかまけて「変わる」ことを重要なことと考えられなかった。そして、人間として仕事へ関わることの矜持、やはり仕事とは自分自身の生き方そのものではないかと。

道具

教会の建設現場の前を通りかかると
二人の石職人が、石を削って石を積んでいました。
そこで、一人の石職人に聞きました。
「あなたは何をやっているのですか」 と
するとその石職人は、
不愉快な表情を浮かべて、答えました。
「この暑い中に忌々しい石と悪戦苦闘しているのさ」 と。

そこで、もう一人の石職人に、同じ質問をしました。
すると、その石職人は、表情を輝かせて答えました。
「私は多くの人々の心の安らぎの場となる
素晴らしい教会を創っているのです」 と。

そんな生き方、仕事していますか?
スポンサーサイト



category: 雑話雑感

アナログなメディアそのもに拡がりはない? 

アナログなメディアそのものには拡がりはない?

メディアミックスからクロスメディアへと広告のアプローチ手法が変化した要因としてデジタルメディアの台頭は無視できません。言えば一概には言えませんが、凸型マーケティングは紙媒体や電波媒体そしてSP媒体などをエイヤーで組み合わせてクライアントにアプローチするいわゆるメディアミックスの手法でした。しかし、AIDMAからAISASそしてSIPSと消費行動を捉えるための手法が進化と変化を表したのは、生活者意識が大きく変わり生活者自身が消費行動に主導権を握り始めたことが大きな要因でもあると思います。それはやはり生活者を取り囲む情報環境が著しく変化し、情報受発信のためのメディアやツールが直接的に生活者の行動様式を変化させていることであるかもしれません。必然的に凹型マーケティングがデジタル環境において、クロスメディアを駆使したソリューション型のコミュニケーション手法が一般的になっているように思います。それらマーケティングの課題と相対して、紙媒体の競争は停滞しながらも激しくなるばかりですが、言えば競争に揉まれている間は仕事があるということでもあります。業界にとっては模索のデジタル時代であるように思います。コンテンツや情報のデジタル化は更に進んで行くことは明白ですので、紙媒体もデジタルに向けて少しずつシフトしています。しかしながら、デジタルメディアも紙媒体の補完的な役割でしか果たせていなのが現状であるかのように考えます。紙媒体の業界のデジタルへの流れが緩やかなのは、思惑通り収益事業としてなかなか成り立たないためですが、次世代メディアとしてのデジタルツールは、新しいコミュニケーションをつくりあげるためには必須のツールであることは確かなことであります。

アナログ 本

しかし既存の紙媒体は今後もそれなりのウェイトで役割を変えながら持続します。ただし紙媒体として効率化という課題は継続的に問題として孕んだまま残ります。基本的には紙媒体のマーケットが広がっていくものではありません。当面の紙媒体のビジネスは、高能率化による低コスト競争でのサバイバルですので、クライアントニーズがあったとしても売上の減少は続くかもしれません。紙媒体がどうなる、印刷がどう?などという議論をよくみかけますが、その議論からは、当面の紙媒体の需要は安定的にありそうですよね、という空気はいつも流れているように思います。数年以上先の次世代メディアと次世代の新しいコミュニケーションを考えると、紙媒体の土台を揺るがす多くの変動要因が今後ますます出没するものと考えられます。ますます危機感をもって対処しなければならないと思います。

派生価値で収益を補完する。
アナログとデジタル

次世代のために戦略しなければならないのは、あらゆるマーケッティング手法に基盤を置いたビジョンづくりであります。紙媒体の収益構造を補完するために、クライアントニーズのプロセスで派生的に発展させた価値を収益化することが、グローバルな視点をおいて共通課題として、しかもワールドワイドに同様のビジョンを掲げて良くも悪くもそのような視点で事業拡大を行ってきたのではないだろうか。派生価値は、紙媒体のコンテンツをどのように戦略的に構築するかという課題にかかっている。体制からの視点でみると、デジタルを専門とするIT会社とのアライアンスなのか?デジタル戦略に注力している印刷会社なのか?いや自社開発か?色々な視点は可能性を広げる意味でありかとも考える。いずれにしてもデジタルメディアやデジタルツール、そしてそのプロセスにおいてのデジタルの印刷システムなどからも派生価値を創出しやすい特徴があり、現状それを活用しない戦術などあり得ないように考えています。

インターネットが出現して以来、ずっとデジタルメディアへの期待や希望が語られてきました。それに対峙するようにアナログの新たなアイデンティティやポジショニングを再構築する必要性が議論されてきました。従来は紙と印刷と出版は運命共同体的であるという発想で、アナログか、デジタルか、という対立的な捉え方が支配的でしたし、同時にデジタルビジネスはアナログのビジネスとは別物であるとされてたきたように思います。言いかえればメディア側からのアライアンスの可能性をあえて問うと、IT会社なのか印刷会社なのか?はたまたコンサルティング会社?いやはや自社開発?というようなことも、それぞれの資源を考慮しながら模索する必要があろうかと考えます。

まさしく「OR」ではなく「AND」ではないかと考える。それぞれとのアライアンスをシミュレーションして「OR」ではなく「AND」の考え方と姿勢でものごとを議論し戦略づけることは重要です。そのような環境の中である意味、優位性を掲げて「まだまだアナログに優位性がある」」という点を繰り返し議論されてきたようなメディアの比較論が多かったと思います。いろいろな技術やシステムそして戦略戦術で、新市場を創出してきたのではなく、(BtoC)コミュニケーションをさらに効果的に有益性をもたせて、再構築するためのコンポーネントであったといえます。その中で変わりゆくコミュニケーションのカタチを、われわれのポジショニングからどのようにデザインするかが今後の大きな課題であると考えています。

生活者はもう先に動き始めている。

従来はメディアを考える際に、メディアの仕様、コンテンツのセグメンテーション、ターゲティングなどに固執した視点が多くありました。すでにどのようなメディアも情報のプロセスはデジタル化したのですが、情報の出口によってはメディアの業界的区分が細分化されています。しかし、情報を必要とする生活者は、情報端末の種類に関わりなく、良質な情報を誰よりも早く欲しがっています。戦略的な視点でみると、情報端末にとらわれない生活者のニーズに合ったコンテンツそのものを主体的に欲している。その状況を捉えて言うならば、次世代メディアのアイデンティティは、生活者が必要に応じてセグメントするようになり、リテラシーの視点から言うと確実に必要な情報を得る力を備えるということになります。

紙媒体もトータルに顧客のコミュニケーション活動を支援する業務に目が向き始めています。コミュニケーションツールとしては、メディアを複合して考えないと新たなチャレンジができないしチャンスにも恵まれません。(BtoBwithC)toC(CtoC)のようなロジックというか考え方でコミュニケーションツールのあり方や使い方、そしてその伝えたいコンテンツの情報リテラシーなども、情報発信側として構築しておかなければという体制的な側面もあります。まずは変化を知り変化に対応する意識も必要、変化をつくりあげるメディア側のポジショニングを創発することができればと。紙媒体売上減に対する補足のために低効率の新事業を開発するのは効率的ではない。そのためにさらにデジタル化の推進にともなったビジネスの領域拡大は次第に消極的になっています。これでは数年後のデジタルメディアの成長・成熟に照準を合わせた準備はできず、次世代メディアの構築に乗り遅れた組織は、今までに培ってきた生活者との信頼関係を一気に崩すことになるかもしれません。新たなコミュニケーションツールの技術的な可能性は見えてきましたが、どのように収益構造を構築するかは、SNSメディアがネットを跋扈する中、はたまたSNSメディアのあり方が再考される時がきて、いろいろ紆余曲折が確実に予測できる空気感はありますが、本来の事業の確かさを拡大することに専念して新たなチャンスを失うことになってはならない。今、にグローバルにものを考えてローカルでアクションする。という行動の指針を持つ必要があると実感しています。

コンテクストをヨム。
コンテクスト
デジタルファーストがいろいろな場面で必然的に出会う機会が増えています。業界的にもご多分に洩れずデジタルファーストが幅をきかせています。情報の受発信のプロセスにコンテンツの付加価値を発見するポイントがあります。それによって付加価値をビジネス化し、マネタイズできるかが大きな要素となります。そのプロセスで生活者のシーズやニーズにどのように付加価値を付け情報発信するのか?当然セグメント・ターゲティングを考えて、その生活者がどのようなタイプなのか?というような想定が付加価値を創りあげるところで重要になってきます。つまりこのポイントが合致していれば、生活者に対して親近感が強くなり、受け手には「カスタマイズされた」アイデンティティとポジショニングが構築された「個性的なメディア」として認知されます。

LINE

例えば、ユーザー数が世界で1億人を突破したスマートフォンのアプリ「LINE」のコンテンツビジネスは、メーッセージに関係した、文脈にマッチしたスタンプをやりとりする。特にそれは若い女性の共感を得、それが大きな成長要因だと言われている。生活者をインサイトしマーケットインする、いわゆる「文脈」を読むこと。情報の受手側の価値から逆算して企画を発想することの重要性。生活者の気持ちを考え(観察・洞察)、流れの中、価値発見のための前後の行動や周辺のタイムリーな情報を読み取り提供することが生活者の満足をつくりだす。ことになると考えます。本来なら「文脈」をヨムことで完結されていますが、私は、プラットホームにあるヒトモノコトを点線面で結んだその中に立つヒトモノコトの「コンテクスト:文脈」をヨムことがメディアづくりの基本になる考え方ではないかと考えています。よく例に出される「LINE」の「ペルソナ」を設定した成功例。このペルソナを細かく設定することはマーケティングでは欠かせないプロセスです。「LINEではコンテンツそのものではなく、「文脈」が重要であり、誰がどういう動機で使うかという背景抜きに価値は語れない」としています。

アナログメディア・デジタルメディア、全般的なメディアは究極的には、生活者の空き時間の奪い合いです。違和感があるかと思いますが、われわれはメディアの情報(記事・広告)、特に広告などはスペースで売るのではなく、その広告を見て貰える時間として広告の価値を売れと申しております。メディアへの生活者の滞在時間をわれわれは閲読率と呼んでいますが、そのための工夫が日夜あれこれと議論沸騰のところでもございます。また、メディアのプラットホーム戦略と言い続けて久しく思いますが、点線面でヒトモノコトを捉え、化学反応をどんどん起こしてさらに新しいことにチャレンジできる場づくりをいつも意識しています。メディアの役割は「場づくり」。メディアを考えるときには、「コンテクスト:文脈」を考えることの重要性が今後ますます求められることになるかと。


やっぱり変わらなければ。

CHENGE2013

メディアはある日突然変化していることがありますが、どんないデジタルが進化しても今後もリアルがすべてバーチャルになるわけではありません。変化の原因を見極め、自らの成り立ちと強みを考える。変化することを恐れずに大胆にアクションしましょう。変わらないことが一番危ない橋を渡らされることになる。

ボブディラン

category: 雑話雑感

私がSNSへの違和感を持ち始めたのはいつからだろうか。 

私がSNSへの違和感を持ち始めたのはいつからだろうか。

クラウド 考える


私がSNSへ何故か違和感を持ち始めたのはいつからだろうか。普段からメディアや広告などの情報には敏感で、特にネットメディアには興味を持って、いろいろな本を読み漁り、それでは物足りなく、実際にセミナーなどに参加してリアルに情報を得ていた。またそこで得た人的ネットワークを活用して欲求を満足させていた。従来は長い間アナログメディアやその周辺の事業に幅広く携わり、それはそれで新しいメディアや事業を開発しながら三方良しの仕組みはつくれていたかと自負している。ネットメディアからIT全般を覗くようになって、私的にIT関連の語彙は次代を反映するキーワードであることに気づいた。それは社会環境や経済環境、もっと身近に言うと仕事の仕方や考え方、ライフスタイルや人間関係など、ITの語彙が、顕著に実感、リアルに体感する機会が増えたように感じたからだ。次代を反映するキーワード、例えば古くなるがウェブ2.0の概念やユビキタス、CGMからウェブ3.0、クラウド、またメディアとしてポジショニングでは、掲示板などコミュティサイト、ネット通販、クーポン共同購入サイト、そしてソーシャルネットワークサービスと言われるSNS全般などが確固たる立ち位置をつくりあげ勢いはますます増すばかりである。

絆 手をつなぐ


そのような社会現象と言われるような新しいメディア文化が跋扈する中、インターラクティブなどは今やすでに語られず「絆」「つながる」などソーシャルな概念に導かれるようなキーワードも浸透した。あえて推測するなら3.11の震災とSNSがある意味、現実で直面した場で、親和性をもって神話的に語られる機会が増えたからであろうか。直接的な恩恵は予想以上ものであろうかと。いづれにしても従来のメディアでは発揮できないチカラが働いたに違いない。

私なりに原点に返って、インターネットはやはり人々の行動やヒト・モノ・コトへの関わり方や考え方を変えたところがあるのではないか。それはお茶の間で家族全員そろってテレビを見ていた時代から、核家族で一部屋にテレビが一台、そしてパソコン、そして携帯電話、そしてスマホと、われわれの身近なコミュニケーションの手段、はたまた情報収集の手段が、われわれのライフスタイル全般大きく変えてきた要因であることは間違いないらしい。業界的には、売らんかな、の、ダイレクトなPR手法から、よくマーケティングされた空気づくりから消費へ導く手法、要はAIDMA→AISAS→SIPSとマーケティングの手法は変わりつつあり、さらに複雑なものなっていくのではということ。このようにわれわれの業界から見ると、複雑な環境が絡みあう中、生活者へのアプローチに苦戦している日々であるが、ツイッターやフェイスブック、ミクシーなどを駆使して、案外に個人が発信する情報が人々に行き届いていたりコミュニケーションできていたりする。もっと言えば個人商店やNPOなど各種団体などもそれらを駆使して情報発信がうまくいっていたりする。パーソナルなプラットホームづくりの視点からはこの上ないツールだろうと推測する。

人と人、コミュニケーションとはどういうことでしょう?何を求めて人は情報を発信するのでしょう?「Line」のグラフ検索などは趣味や関心、プロフィール情報などによって、新たな「絆やつながり」が新たなソーシャルグラフやインタレストグラフをつくりあげることになるでしょうが、やはりますますメディアリテラシーやコミュニケーションリテラシーの必要性を強く感じている。私事であるがツイッターやフェイスブックでいろいろなメッセージを見ていると、自分を大きく見せようとか、生活を虚飾して興味をもたせようとしていたり、リアルな友人がSNSの中では別人のようなメッセージを書き込んでいたりと。またビジネスに活用すべくフェイスブックページであの手この手で自社をアピールしていたり、いろいろな人々や団体や企業が使い方をそれぞれに工夫してメディアとしての活況が興味深い。時々ツイッターで見るつぶやき風なものも見かけるが。
ああ、こういうことなんだなと気づかされた「ビレネー・ブラウン女史」の一節をご紹介しておく。



私たちは人と繋がりたいと思っている。

私たちは人と繋がりたいと思っている。
でも多くの人は
「自分に価値がなければ誰も繋がってくれない」
と不安になる。
その結果、
みんな自分に価値を作ろうとする。

愛されるキャラクターを演じる。
お金持ちのように振る舞う。
毎日がしあわせとつぶやく。

そうすることで価値が生まれ、
多くの人に繋がることができる。
でもそれをすると、
今度は、誰かと繋がっていても、
繋がっているのが本当の自分ではなくなってしまう。

表面的には多くの人に繋がっているように見えるが、
"本当の自分"は誰とも繋がっていない。
その結果、
孤独になり、苦しんでしまう。

人が持っている本質的な"人と繋がりたい"という渇望は、
努力すればするほど、満たされなくなっていく。

部下に完璧であることを示し続けている上司。
自分が成功して幸せだと著書に書き続けている作家。

一流企業に勤めていると周りに自慢しているが、
実際はそれほど重要なポジションでない社員。

相手に居心地の良い空間を提供しようとして、
言いたいことを我慢している恋人。

FacebookやTwitterで、
充実した日々だけを発信し続けている"友達"。

妻に自分に起きている会社での辛いことを隠し、
明るく振る舞う夫。

このような人たちも、
相手と繋がりたいからそれをしているのだが、
それが相手と繋がっているという気持ちを断ってしまう。

自分に価値を作ろうと努力しているうちに、
相手と繋がれなくなり、孤独を感じて、苦しくなる。

「人と繋がるには、
完全であり、
相手にとって価値があるように振る舞うことではなく、
むしろ不完全な自分を、
その相手にさらけ出す必要がある。」

TED TEDロゴ

知足
ビレネー・ブラウン女史はソーシャルワークの研究者で関係性が喪失することの怖さ(※弱さとは何か)を克服するには、感情の制御と予測を放棄しなさいと、言っている。

私たちにできること

確実さを求めない
自分と子供たちに完璧さを求めない
他人に影響を与えないふりをしない
ありのままの自分をさらけだす
自分を愛し、見返りを求めず他人を愛する
足るを知る。


まずは、自分を信じること、そして、勇気を持ちなさい。ということでしょう。

category: 雑話雑感

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード